殺陣師の佐藤雅樹が殺陣と武道修行から得た "気付き" を易しく解説します


by Masaki Sato

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慈しむ日々

8年半ぶりの「インコ道」でございます。

ええ、今でも鳥バカ日誌をやってますよ、我々夫婦は(笑)

ただ、メンツはすっかり入れ替わってしまい、今は雌のセキセイインコ一羽だけが我々と同じリビングで暮らしています。

最古参だったオカメインコの "ミント" は、三年前の今頃、冬の寒い夜に二十三歳という長寿を全うして天国へと旅立って行きました。

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おっとり屋さんでちょっと気難しいミント(笑)

あまりの淋しさに「インコはもう飼わない」とカミさんは宣言し、死んだような顔で半年ほど過ごしていたものだから、俺は無理やりその手を引くように、随分昔に我が家の永遠のアイドル "クルミ" を買った小鳥屋さんに連れていき、レインボーという品種の、水色を基調に黄色や白が鮮やかに混ざった美しい雄のインコを買ってきたのだけれど、その子 "ミルク" はそれはそれは元気な子で、縦横無尽に部屋中を飛び回り、カミさんが買い与えたおもちゃで活発に遊ぶ愛くるしい仕草に、我が家はいつも笑いが絶えず、一気に春が来たような心持だった。

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おしゃべりも大得意!ミルク

だがそれも長くは続かず、ミルクはその半年後、放鳥タイムで元気一杯に遊んだ後、ご飯を(餌を)食べに自らカゴに入った直後、突然もがき苦しみ、あっという間に心臓が止まってしまったのだった。所謂インコの突然死ではあるが、予兆はしっかりとあって、ミルクまだ小さい頃からよく咳をする子だったのだが(それも本当に苦しそうな酷い咳を)、これは後で調べて分かったことなのだけれど、インコの咳が続くのは甲状腺の異常によってそれが肥大してしまい、そのことによって気道が圧迫されてしまうからであって、もっといえば、心臓も、常に肥大した甲状腺によって圧迫されているので、ちょっとしたことで心臓麻痺を起こしてしまうということらしかった。

全くもって、我々の勉強不足、不手際でしかなかったわけだけれど、もう、その時のカミさんの落胆ぶりは見ているこちらの胸が締め付けられるようだった。ミントの時とは比べ物にならないくらい、毎日毎日泣いていたっけ。天国から地獄へ突き落されたようなものだったんだもの。

これでは本当に彼女の心が壊れてしまうと思い、再び馴染の小鳥屋に連れて行き、今度はパイドという品種の、背中に黒いショールをまとったような雌のインコ、そう、今我々と暮らしている "スピカ" を購入したのだけれど、この子はミルクとは違って幼鳥の頃は本当に大人しく、カゴの外に出しても飛び回って遊ぶこともせず、インコのおもちゃやぬいぐるみにピッタリと寄り添っているような健気な子だったのだけれど、ひと月もしてすっかり我が家に慣れてくると、まあ、遊ぶわ遊ぶわ、特に地面を駆けまわるのが大好きで(鳥なのに)ミルクも使っていたおもちゃのボールを蹴ったり、器用に足で掴んだりして遊ぶのが大好きだった(今でも俺達とサッカーごっこをしている)

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さみしがり屋のスピカ

カミさんにもようやく笑顔が戻り、ああ、これで我が家も安泰だと思ったものの、やはり心配の種は尽きず、この子もうちに来て割と直ぐにミルクと同じような咳をし出したのだが、半年が過ぎた頃だろうか?遊んでいる最中に突然心臓の発作が起こり、心臓の鼓動に合わせて全身がビクンビクンと痙攣をし出したので「あーこの子もそうだったのか!」と俺達二人は青ざめたのだが、スピカの心臓は生まれつき強かったのだろう、直ぐさまカゴに入れて安静にさせていたら半日くらいで心臓のドクドクは治まり、二日目くらいからカゴから出せ出せ!と元気に騒ぐようになったので、ひとまず事なきを得たのだが、ここから俺達夫婦とスピカの悪戦苦闘が始まったとも言え、ミルクの二の舞にはさせぬとばかり、調べに調べ、良いと思ったものは片っ端から試していった。

結果的には、うちに来た時から飲み水に混ぜて与えていた「ネクトン」という総合ビタミン剤と「ヨード(※1)」に加え、三日に一度、それも時間帯を決めて「アサイゲルマニウム」を少量、これも水に混ぜて与えることに落ち着いたわけだが(※2)、その甲斐あって、今年の秋に無事に二歳を迎え、ここ一年ほどは咳をすることも全くといっていいほど無くなってきた。

とはいえ、心臓の発作はしょっちゅうで、特に飛んだ時にはてきめんで、相変わらず全身をビクンビクンさせて俺達をハラハラさせてはいるが、本人も飛ぶのはよろしくないと感じてはいるらしく、基本的には床の上をテケテケ走り回って遊んでいる。でも、やはり身体には負担なのだろう、ちょっと前だったら、一時間でも二時間でも、いつまでも遊んでいたものが、調子の悪いときは十五分くらいで切り上げ、さっさと自分からカゴに入るようになってしまった。

本当に、いつお迎えが来てもおかしくない状況で、だから俺達は、毎日毎日、毎回毎回が最後のつもりでこの子と向き合っている。特に夜の放鳥タイムでは、スピカの一挙手一投足に全力で集中し、その可愛らしい姿に夫婦で微笑みを交わし合っているわけで、掛け値なしに至福の時間でもあり、自分の人生の中でこれほど穏やかで幸せな瞬間があっただろうかと思えるくらいの貴重な時を過ごさせてもらっている。

果たして、ミルクが先に逝かなかったなら、スピカが五体満足であったなら、これほど真摯に この子と向き合えただろうか?

いや、やはりそうではないだろう。

本当はそれでは良くないのだろうが、いずれ失うということが分かっているからこそ今というこの瞬間に全力を注ぐことが出来るのだと思う。それはこの二羽が身を持って俺達に教えてくれたことでもあるし、大袈裟なようだが、人生の全ての局面においても当てはまることなのだろうとも。


などと殊勝なことを言ってはいるが、なんのことはない、スピカちゃんにデレデレのアマアマだということですな(笑)

インコ道、次の更新は有るや無しや?分かりませんが、お好きな方は気長にお待ちくだされ。

ということで、バイなら!!

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カミさんの撫でくりにご満悦のスピカ



(※1)甲状腺異常のインコに「ヨード」は必須。「ネクトン」にもヨードは含まれているのだけれど、それでは足りないと判断したため(ちなみにネクトンはミルクにも最初から与えていた)。後は小鳥のお医者さんに行けば「甲状腺ホルモン」なるものも処方していただけるらしいです(我が家の近くには残念ながら小鳥のお医者さんがいらっしゃらなかったので)

(※2)「アサイゲルマニウム」は別名「有機ゲルマニウム」ともいって、体内の炎症を抑え、重金属等の毒素を排出してくれる作用があるらしく、元々は我々が摂取するために購入したものではあるけれど、ペットにも有効とあったので、人間の飲む濃度の三倍くらいに薄めたものを少しずつ与えています。アサイゲルマニウムは基本的には副作用はないといわれていますが、自分の体感では、これを摂っていると代謝が非常によくなり、お腹が減って仕方がなくなって普段の栄養摂取が足りないと低血糖のような状態にもなってしまいます。スピカにアサイゲルマニウムをあげ始めた時分は、多分量が多すぎたのでしょう。明らかに低血糖状態でふらふらしている時がありました。ですので、これをお試しになる際には、極々少量からお与えになるようお気を付け下さい。

# by genshu-juku | 2023-12-23 23:29 | インコ道 | Comments(0)

今年は長野に沢山行きました

年始のご挨拶でも述べたように
今年は長野に沢山出かけました。

春まだ浅い三月には

下諏訪から上諏訪へと
湖畔のウォーキングを楽しみながら

諏訪湖博物館で黒曜石のペンダントを買ったり
(黒曜石は縄文時代から続くこの地方の特産品)

お洒落なカフェで優雅なティータイムを楽しんだり

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下諏訪駅前の温泉


まだまだ暖かかった十月には

レンタサイクルを借りて
念願の諏訪湖一周を成し遂げたり

お目当ての喫茶店で
最高に美味しいアップルパイに出会ったり

その後は

映画「君の名は」の聖地と謳われる
立石公園にまで足をのばしたり

本当に楽しかったなあ~!!

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諏訪湖一周まであと一歩!

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立石公園から諏訪湖を眺める


そして、最後の締めとばかりに
つい先日、三十回目の結婚記念日の祝いも兼ねて

ずっと気になっていた松本に初上陸を果たしたのだけれど
(車ではよく通り過ぎてたけど)

国宝松本城に
縄手通りや中町通りといった定番の観光スポットや

こじゃれたカフェでこじゃれた "おやき" を食べたり

有名な居酒屋で
この地方のソウルフード "山賊焼き" に舌鼓を打ったりと

大満足の初日を終え

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縄手通りはカエルで有名

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ライトアップされた夜の松本城


二日目は安曇野・穂高を訪ね、

またまたレンタサイクルで
穂高神社や大王わさび農場、碌山美術館など

抜けるような青空の下
遠くに北アルプスを臨みながら

行きたいところは全て制覇するという
若者並みの行動力を見せた後は

これまた
ネットで事前に調べておいた自家焙煎珈琲のお店で

ログハウス風の落ち着いた雰囲気の中
珈琲の深い味わいに感動したり

いや、もう最高の旅でしたわよ♡

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遠くに北アルプスを臨む

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どこまでも続くわさび田


心が洗われるとはこういうことなのだなあ~と
旅から帰ってもしばらくは爽快な気分が抜けなかった。


こんな風に書いてて改めて思うのは

これまでは

観光スポットやカフェ
なんてものとは無縁の人生を送ってきたということ。

自分を鍛えること
高めることだけが生きる目的であって

それ以外のこと

例えば、

美しい風景を眺めることとか

美味しい食事をいただくこと
なんかには露ほども興味を示さなかった。

まあ、それはそれで良かったのだと思う。

お陰で

誰にでも到達できるとはいえない境地を
垣間見ることができたのだから。


でもね、こうやって旅の楽しさ
知らない土地を歩くワクワク感などを知ってしまうと

これまでの人生がなんと色褪せて見えることか。

今からでも遅くないので
これからは精一杯楽しんで生きようと思うよ。


こんなにも自分を変えてくれたのは

長野の、信州の大自然と
行く先々で出会った温かな人達の心遣いには違いないので

これからも、足繁く信州に出掛けることをここに誓いたい。


というわけで、来年は何処を訪ねようかな〜?!

# by genshu-juku | 2023-12-16 21:56 | 信州・諏訪湖 | Comments(0)

内勁は向こうからやってくる_3

前回の話の続き。

今回は

内勁トレーニングとは別の運動を並行して行ってもよいか?

という話なんだけれど、これは、俺達世代の指導者なら「絶対にダメ!」というところなんだろうけれど、そこは俺だから(笑)殺陣師をやりながら太極拳を学び、アクションや殺陣、時にはバック転や宙返りなんかを五十歳になる目前まで仕事としてこなしてたんだから、「全然OK!」「大いにやりなさい!」っていうに決まっているだろう。

但し、これも条件付きで。

それは、もはや耳にタコができてると思うけど・・・

限界まで力を抜いて行う

ということ。

どのような運動においても必ず「理(ことわり)」というものがあって、一般的にはコツなんかとも呼ばれるそれは、深い所では内勁とも密接に繋がっているもので、そのコツを引き出すためにリラックスが肝要であるとは、どのような運動種目においても普通にいわれることではないか。

なので、違う運動種目を練習するときにも、「これ以上力を抜いたら立っていられない」というところまで、何か物を持っているならば「これ以上力を抜いたら手からそれがすっぽ抜けてしまう」くらいに脱力をするのなら、加えて一つ一つの動作に魂を篭めて全力で臨むのならば、その種目の理は自ずと姿を現し、そうしてそれが身体の奥深くに眠る内勁を呼び覚まし、その目覚めたばかりの内勁の芽がその種目の理を更に磨き上げていくという またとない好循環を生み出すのだ。

とはいえ、量的稽古は必須。

アクションや殺陣でいえば、突き、蹴り、素振り等、それぞれ違う技(ストレート、フック、アッパーみたいな)のトータル数で良いので、各千本ずつ(突き千本、蹴り千本、素振り千本)は必ず行っていただきたい。もちろん、一回の稽古でだ。

スピードは?

速ければ速いほどいいよ。

やればわかるけど、脱力すればするほどスピードというものは速くなってくる

ともすれば、その速さに身体の強度が追い付かずに関節をパキッとかいって痛めてしまうおそれもある。そうならないためには、己の身体の連動性というものを注意深く観察し、力の流れが滞っている場所を突き止めてフォームを改善しなければならず、そのためには太極拳の稽古法のように、スローモーションのようにゆっくり動いては力の流れを確認する必要も出てくる

つまり「ゆっくり作って速く応用してみる」その繰り返しというわけだね。

あと、自分の場合は殺陣やアクションの、まあ、言ってみれば「格闘動作」に近いものだったので、内勁とのすり合わせはそれほど難しいものではなかったのだけれど、アクロバットは全然別の動きだからね、太極拳なんかと比べれば。

ただ、これも格闘動作と体操を並行して行ったことがある人にだけは判ってもらえると思うんだけど、「体幹の動きを手足に伝える」という意味においてはやはり共通の理がそこにはあって(※)、自分の身体が内勁寄りに変わってきた辺りから、例えばロンダートバック宙なんて技をやった時には股の「会陰」辺りの筋肉が輪っか状にジーンと痛くなったりして、「あっ!こんな場所まで運動に参加してるんだ!!」と感動すら覚えたものだ。

(※)マット運動の基礎にある「あふり」という動作は非常に武術的だよなあと今でも感心する。

余談だが、前回話したように、自分は一般的にいわれる腹筋や腕立て伏せなんかは、三十年近く全くやってこなかったにもかかわらず、五十手前でバック転やロンダートバック宙を軽々こなせたということは、そこに内勁の力が関与していたという証拠になりはしないだろうか?まあ、どっちでもいいんだけど(笑)


続いて

サンドバックは叩いてもよいのか?

という話題。

まあ、サンドバックに限らず、パンチや突きの練習のために何か物を叩いても良いのか?という話だけれど、個人的には「やめとけ」と思ってる。

それは、あくまで「内勁を発達させるために必要か否か?」ということに関してだけなんだけれど、順に説明すると、サンドバックや、例えばそこらへんに立ってる木なんかを叩くとして、拳がそれらに当たる瞬間はギュッと握って力を入れるよね?そうしないと拳や手首を痛めてしまうから。それが内勁の上達を阻害してしまうと言っているんだ

もちろん、ダルダルにリラックスしたままパンチを繰り出し、インパクトの瞬間、拳だけを鉄のように硬くできるなら、それはそれでもの凄い威力になるだろうことは容易に想像がつく。だけどね、内勁の攻撃というのはその先を目指しているんだ。

要するに相手の内臓を破裂させるということ。

だって内臓を破るのって男のロマンじゃん(笑)?

そのためには、インパクトの瞬間、拳や掌の力を抜いていなければならないのよ。そうなってこそ、背骨を伝わってきた勁力は相手の内臓にまで余すことなく伝えられるのだから

ここからは余談だけれど、内勁が到達した拳や掌がどうなっているのかというと、相手にめり込ませた腹のところで相手の筋肉の強弱に合わせて僅かに形を変えているのだ。その形がどうなっているのかは、ここではちょっとお伝えできないのだけれど、何故そうなるのかというと五本の指それぞれが内勁によって「伸びよう伸びよう」としているから。正に "野比のび太" の名前の由来と同じなわけだけれど、この「相手にめり込んだ腹のところで形を変える」、しかも爆発的にというのが内勁の打突の真骨頂なわけで(※)、それが完成する以前に拳を固める癖を付けてしまっては "もったいないお化け" が「おんぶ~!」って飛びついてくるほどではないのよさ(←それは "おんぶおばけ" )

(※)楊式太極拳のそれは「拳に針を仕込んでいる」「拳に爆薬を仕込んで」いるともいわれ、「綿拳(めんけん)」として恐れられた。

まあ、完全に指先にまで内勁が到達した者にとってサンドバックを叩くくらい雑作もないことなのだけれど(←それこそ内勁で)、問題はそこに至る途中の者達で、インパクトの瞬間に拳に力を入れるのは論外だとして(そこで上達が途絶えてしまうから)、「それでは完全に脱力しながら物を打てばよいではないか?」という疑問が残されるわけだが、これが本当に危険を伴うわけで、つまり、万物には作用反作用という法則があって、勢いよく何かを叩けばその衝撃は全部自分に還ってくるわけで、これが例えば拳に力を入れて叩いた場合なら拳や手首を捻挫するだけで済むものが、全身を脱力させて物を叩いた場合は(特に中途半端に内勁が出来てたりすると)その衝撃は自分の身体の内側にまで簡単に届き、時には内臓を痛めてしまうことさえあるのだ

なんでそんなことが判るのかというと、自分が散々やってきたから(うける~!)

自分の場合はサンドバックではなく、設備管理という仕事柄、職場に六トンもの水を湛えるボイラー用の給水タンクがあって、それをことあるたびにドガン ドガンとぶっ叩いていたのだよ。鉄板の厚さは五ミリほどはあっただろうか。高さは三メートルはあったかな?とにかく、思い切り叩くとその振動が水の中を伝わっていくのがよくわかった。

楽しくて仕方なかったのでしょっちゅう叩いていたのだけれど、数を叩き過ぎた翌日はてきめんだった。眼の下はクマで青くなり、腹は痛いは下痢ピーだわで もう散々。衝撃が頭に入った場合なんかは、こん棒で頭を殴られたような痛みに一日中唸っていたっけ。

そんな思いをさせたくないからこんだけ熱心に「やめとけ」って言ってるのに、それでもやりたいというのならホントにちょっとだけよ、あんたも好きねぇ〜♡

というわけで(内勁修行中だけど)どうしてもサンドバックを叩きたいというのなら、事前に叩く数を決めてから行ってください

俺が進めるのは左右 五発ずつ。

「え~?そんなんじゃ練習にならんよ!」って思うかもしれないけど、全身の力を抜いて行うならそれで十分。

完全脱力だと拳や手首を折ってしまうかもしれないから、そこにだけちょっと力を入れても可。

そんな感じだと最初は「ポスン」としかいわないかもしれないけど、そこでムキになってはいけません。力が抜ければ抜けるほど身体の中に深く反作用が浸透してくるので「なるほど、この道を逆に辿ればいいのだな」とばかりに、その後の鍛錬の糧としてくださいな。そうでなければ内勁修行者が物を叩く意味はほとんどありませんので。

またまた余談だけど、中国武術、特に太極拳の対人稽古では相手を "飛ばす" ことが重要視されている。それは、当然、相手を激しく転倒させることを目的としているとは思うのだが、上達論から見れば、相手を痛めつけることなく(←特に内臓を)同時に自分にも反作用を及ぼすことなく安全に打突の感覚を磨く、とてもよく考えられた稽古法だと思う

どういうことかというと、飛ばす時と打突をかます時の身体の使い方は一緒だから。違うのは単純にそれに掛ける時間だと思ってもらえればよろしい。相手を飛ばす時には(勁に粘りを加えながら)1秒から2秒くらいかけてそれを行うとしたら、相手に突きを入れる時は(勁の粘りは消して)0.5秒かそれ以下の時間で行うということ。たっぷり時間を掛けて相手を飛ばすことにより、拳や掌で相手の中心を捉える感覚、相手に接触している部位で僅かに拳や掌を変化させる感覚が磨かれるというわけだ(※)

(※)拳や掌は相手の身体の形状に合わせて勝手に変化するのであって、決して自分の意志で行っているわけではないということ。この「勝手に~する」というのが内勁の重要な在り方


とはいえ、今送っているメッセージは、このような対人稽古が出来ない独習者に向けたものなので、そういった人達にお勧めするのは

棍や槍を死ぬほど振る

ということ。

棍や槍のような長い物を全身の力を抜いたまま操っていると、自然に、身体の内側、芯が開発されてくる。何故ならその方が(身体の中心から操作した方が)合理的で無駄がないからだ。

また、中国武術特有の柳で作られた棍や槍はとてもよくしなるので、勢いよくこれらを振った際にはビィ~~ンと激しく振動するものだが、なるべく手や腕の力を抜いていると(※)、その振動が腕を伝って身体の中に侵入してくる。これが作りかけの勁道を大いに刺激して内勁の発達に貢献してくれるのだ。

(※)さすがに、突いた瞬間、振り下ろした瞬間には手をキュッと握るよ。そうしないとすっぽ抜けてしまうから。

尚且つ、ビィ~~ンと振動する棍や槍を持っている状態というのは、素手の打突において「自らの内勁を相手の身体にぶち込んでいる」状態と非常に似ているので、これすなわち、棍や槍の鍛錬はそのまま素手の打突の鍛錬に応用できるということなのだ(身体全体の使い方としても、手の内の感覚としても)

だから、初心の内は、必死こいて棍や槍を振ってさえいれば(※)サンドバックなんか叩かなくとも、自然と打撃感覚を身に着けることが出来るので、先ずは焦らずに己の身体と向き合ってみて欲しい。そうやってしっかりと打撃感覚(の素)を磨いていれば、いつか対人練習をやる機会があった時には、自分でも驚くほどの威力を発揮出来るだろうから。

(※)棍や槍を振る動作は「①前方を突く」のと「②下に払い落とす」、この二つで十分。YouTubeの動画などで上手い人の動きを参考に、先ずはトライしてみてください。取りあえず一回の稽古で、左右構えを変えて、それぞれ五百本から(①→②の二動作で一本とカウントすること)!


いや~長々と書いてきたけど、かなりマニアックな内容になってしまったな~(汗)

何度も言うように、これまでお伝えした内容はあくまで独習者に向けたもので、正統の中国武術会派に属する人達には無縁のもの。

とはいえ、こんな雑草の経験談も貴兄らの修行に何らかの足しにはなるかもしれぬではないか?

というわけで、今後も若い修行者達には惜しみなく情報を提供していく所存。

ゆるゆるとお付き合いいただけたらと思う。


それでは、バイバイキ~ン!!


・・・終わり

# by genshu-juku | 2023-11-25 15:17 | 武道 | Comments(0)

内勁は向こうからやってくる_2

昨日はぶっ倒れるまで身体をいじめるために毎日4〜5時間は稽古してたと書いたが、今の時代、働きながらそんな時間を確保するのはほぼ無理な話。かく言う自分もそんな無茶な稽古してたのは結婚するまでの5〜6年の間で、それからはいかに時間を短縮するか、一回の鍛錬でどれだけ負荷を掛けられるかに心を砕くようになっていった。

結論から言うと、どれだけ重い物を持てるか、自重でトレーニングする場合にはどれだけ効率的に狙った場所を鍛えられるかということに尽きるわけだけれど、ここで断っておかなければならないのは、それらのどのような高負荷トレーニングにおいても

限界まで力を抜いて行う(※)」

ということで、言い方を変えると「高負荷を掛けながら尚且つ表層筋の力を抜いていくことで強制的に内側の靭帯や筋膜に刺激を与える」ことこそが目的なわけで、もし仮に、脱力トレーニングをしながら深層筋を鍛え、並行して表層筋も維持したい(表層筋も鍛えたい)という欲張った望みがあるならば、それはアクセルを踏みながらブレーキも踏んでいるようなものなので、百害あって一理無し、絶対とはいわないけれど、内勁に辿り着くのは相当難しい話ではないかと思う。

あと断っておくけれど、今回のメッセージはあくまで「脱力トレーニングを信じきれない」という昔の俺みたいな偏屈な人達に向けたものなので(笑)良師に恵まれたり、確固たる信念の下、良質の内勁トレーニングに励んでおられる方々には無縁の話であると認識しておいていただきたい。

(※)例えばウエイト器具を使う際など、それを取り落としてしまわない、ギリギリの力で行うということ。もちろん武器術においても、素手で行う場合でも同じこと。


【筋トレ】
というわけで先ずは筋トレから。

「脱力トレーニングを信じきれない人達」というのは見方を変えれば「トレーニングが大好き」な人達ではあるはずなので、いきなり筋トレを止めろと言われても納得も我慢も出来るはずもなく、かえってストレスを溜めるばかりとなってしまうので、先ずは「いくらでもやって良いですよ」とお伝えしておきたい。

但し、当然、条件付きで。

その条件の一つ目は「腕立て伏せの禁止」。

これは筋トレ好きにとってはメチャクチャキツい条件になるだろうけど、ここを我慢出来なければ、残念ながら内勁を体得するのは無理だろうと思う。

理由を説明すると、主に背骨から発せられた内勁が腕を伝わり、拳や掌に到達する際、腕や肘は緩やかなカーブを描いている必要があって、腕立て伏せのように肘をカクカク曲げ伸ばしをする運動(クランク運動)をやってしまうと、その流れが断ち切られてしまうからだ(もちろん勁道を構築する段階でも)

なので、ここは歯を食いしばって耐えて欲しいのだが、どうしても腕立て伏せがやりたいのであれば、逆立ちでやればその弊害は少なくなると思っている(自分もかなりやり込んだ)しかも、僅かでも背骨から内勁が発せられるようになれば、それによって身体を上下させられるようにもなるので、勁道を磨く鍛錬にもなって一石二鳥だ。

ここでの注意点は「腕を深く曲げ過ぎない」こと。腕を深く曲げ過ぎては前述した理由により構築途中の道勁を破壊してしまうことになるのでお勧めはしない。

あと、レスリング式のプッシュアップなら、本来の目的が呼吸と動作を繋ぐための「インド式内勁トレーニング」であると自分は考えるので、これも幾らでもやって構わないと思う。

但し、呼吸への意識は忘れないように

ウェイトトレーニングについても腕立て伏せと同じ理由でバーベルを使ったベンチプレスはお勧めしない。でも、デッドリフトやハイクリーンは、全身の、特に背骨のバネを引き出してくれるのでお好きな方は取り組まれると良いだろう。ちなみに自分はロシア発祥のケトルベルを愛用していたので、太極拳を始めてからバーベルはほとんど使ったことがないのだけれど(悪しからず)


二つ目の条件は「腹筋運動の禁止」。

特に身体を丸めるタイプの腹筋ね。

何故なら、内勁の威力の源は呼吸によるものが大きく、それも横隔膜が上下に大きく動いてその度に下腹が膨らんだり凹んだりするといういわゆる腹式呼吸が基本中の基本なので、上体を丸め、しかもその際に腹筋を締めまくるという運動は真逆のことをしてることになるわけで、こういった腹筋運動をしてる間は内勁の習得はかなり難しいとは思う。

とはいえ、トレーニング大好きの「脱力懐疑派」の方達にいきなり腹筋まで止めろというのも酷な話なので、自分がやっていた腹筋強化法をご紹介すると、先ずは「腹筋ローラー」ね。

これなら腹筋を丸めることもなく、慣れてくれば横隔膜の動きを関与させる余地も出てくる(※)その際の注意点としては、速くやり過ぎないということ。20回、出来れば10回でぶっ倒れるくらい、ゆっくりと、スローモーションで行っていただきたい。

(※)姿勢は膝を着いたもので十分。


あとは仰向けに寝て、腹の上に体重が軽めの人を立たせ、腹を膨らませたり凹ませたりする呼吸の力だけでその人を上下させるということ(※)

(※)その際、両脚を伸ばしていては腰を痛めてしまうので、両膝を立てた(曲げた)姿勢で行う。

これは端的に横隔膜をはじめとする呼吸筋が鍛えられるので凄くお勧め(※)だけど、自分の限界以上の重さを乗せた場合、深層筋が肉離れを起こしてしまうので厳重に注意していただきたし

(※)昔、俺達の世代がよくやらされた「V字腹筋の姿勢のまま腹をドカドカ踏まれる」という、あの腹筋運動とは全く次元の異なるものなので要注意。


また自分がこよなく愛していた腹筋(というか全身の)強化法はヨガの「孔雀のポーズ」

これは両手を逆手で床に着け、両肘を絞り気味でへその辺りに添え、頭と足をゆっくりと床から離し、腹圧だけで全身を支えるというもの(詳しいやり方は検索してね)

これは一見力技のように見えるけれど、その実、内勁が全身に通ってくると主観的には「どこにも力を入れていないのにもかかわらず全身がフワッと浮くような感じ」がして(←それこそ内勁のお陰で)その気持ちよさと面白さといったら、是非とも多くの方達に体験してもらいたいものではある(※)

(※)この運動の最中は軽くクンバク(息を止める)するので、高血圧や眼病を患って居る方は避けた方が(行わない方が)無難と思われる。


というわけで、腹筋の話を要約すると、「身体はなるべく伸ばしたまま」で、「腹圧を使って内側から張るように」して鍛えていっていただきたい。そうこうしているうちに(腹筋はうっすら割れていたとしても)下腹がポッコリ出てくるようになるので。正にそれが「内勁使いの腹(肚)」であって、残念ながら、バキバキに割れた腹筋ではよほどの天才でもない限り内勁を体得するのは困難だと思われる。


・・・続く

# by genshu-juku | 2023-11-23 20:12 | 武道 | Comments(0)

内勁は向こうからやってくる_1

このブログで長いこと語って来ている内側の力。

話す内容によっては "伸筋抜骨" と言ったり

"靱帯と筋膜のネットワーク" と言ったり

武術的な内容の時は端的に "内勁" と表現したりしているけど

これは強さを求める男子の永遠の憧れでもあり

ある者にとっては人生を掛けた
テーマにもなり得るものであろうけれど

有り難いことに

現代においてはそこに至るための具体的な方法論が
様々な形で表現、発表されているにもかかわらず

そしてその方法論を
幾つも、何年も鍛錬しているのにもかかわらず

どうしてもそこに辿り着けないという人達がいる。

そうして悔し紛れに
「あんなものは嘘っぱちだ」と喧伝してしまう。

まるで酸っぱいブドウの寓話のように。


そんな光景を目の当たりにすると
「ああ、もったいないなあ」って心底残念に思う。

昔の俺を思い出すにつけ

そういった人達は
あとほんの一歩の努力と信念が足りないのだと思う。

何の努力と信念かといえば
「脱力」に向かう姿勢ととそれを信じる心。

特に俺みたいにバリッバリの外勁(外側の筋肉)

から入った者にとっては

その外側の威力とスピードが身体に染みついて居るが故に
最後の最後で脱力を信じられなくなってしまうものなのだ。

「こんなことをしてて本当に大丈夫なのか?」

「こんなので望む境地に辿り着けるのか?」

と疑いの心が出てきてしまうのだ。


言わずもがなだが

内勁というものは完全に脱力が出来たその先に
外側の筋出力が全てオフに出来た時にだけ発動されるもので

これまで外側だけに頼ってきた者の主観としては
「自分が身体をコントロールしている」という感覚の全く外側から

不意に、ひょっこりと現れてくれるもので

慣れないうちは

「身体が勝手に動いてしまう?!」という不思議な感覚に
戸惑いや恐怖すら覚えてしまうものなのだ。

(そう感じているだけで
今までとは違う形でコントロールしているのだけれど)


なので

内勁を求める人達に口をすっぱくして言いたいのは

「極限まで脱力しろ!」ということと

「自分を信じろ!!」ということ。

それを信じて歩み続ければ
内勁は必ずや貴兄の元に姿を現してくれることだろう。


ただね、もし貴方が未だ若くて体力があるのなら
昔、俺がやった方法を採っても悪くはないと思う。

それは、内側とか外側とか関係なく

とにかくぶっ倒れるまでやるということ(笑)

例を挙げれば

自分は20代の初め、太極拳を始めてまだ半年も経っていないころ
何を思ったのか站椿功を4時間ぶっ続けで行ったことがある。

当時は未だ外側の筋肉が隆々としていたけれど

さすがに4時間も突っ立っていると

腕もしびれ、脚もしびれ
外側の筋肉には全く力が入らなくなり

仕舞いには床にへたり込んでしまったのだけれど

そこで得たある種の感覚、内勁の萌芽みたいなものは
その後の修行人生の確たる指針となってくれたし

あれがなかったら今の自分はないとさえ思っている。


後は、太極拳の型はやれば普通に5時間くらいは練っていたし
(ほぼ毎日、休み無しで)

昼間の仕事で疲れた時なんかは

一旦仮眠して夜の11時頃から公園に出掛けて
真冬でもTシャツ一枚でしっかり5時間は練っていたし。

(Tシャツ一枚は若気の至り / 汗)

5時間も型を練っているとね

どんなにマッチョでも力んだ奴でも
最後は力が入らなくなってくるのよね。

んで、そこからなのよ

内勁がチョロチョロ見え隠れし始めるのは。


今にして思えば
ここまで難行苦行しなくてもいいんだけれどさ。

しっかりとフォームを意識して
(爪先や膝の向き、拳や掌の向き、視線の向き等々)

丁寧に丁寧に脱力をしていきさえすれば

必ずや内勁をモノにすることは出来る。


ただ、昔の俺みたいに

「脱力を志しているのに脱力を信じられない」という
偏屈な御仁にだけ(笑)前述したスパルタ式をお勧めしたいとは思う。

但し、身体は壊すからね、絶対に!
(↑精神も崩壊しかけるよ)

その後の人生、本当に辛い思いをするから(笑)

それでもよければ、どうぞお試しあれ♡


内勁を自在に操る仲間が一人でも増えることを願って


・・・続く

# by genshu-juku | 2023-11-22 22:21 | 武道 | Comments(0)