殺陣と武道修行から得た "気付き" を易しく解説します


by Masaki Sato

プロフィールを見る
更新通知を受け取る

カテゴリ

全体
垂直に伸びる背骨(連載)
仙骨・背骨・健脳
スピリチュアル
武道
殺陣
CG 修行
趣味のこと
新発田弁
インコ道
その他
未分類

以前の記事

2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 07月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 11月
more...

最新のコメント

喜んでいただけて幸いです..
by genshu-juku at 10:28
質問にお答え下さりありが..
by KAWASHIMA at 18:38
もしかして「からだのひみ..
by genshu-juku at 12:13

影響を受けた書籍

<身体論>













<スピリチュアル>





<自己啓発>



カテゴリ:スピリチュアル( 63 )

"気" に関するご質問へのお答え

【ご質問】


いつもブログ拝見しております。

この記事とは、少し関係ないのですが、この記事と以前書かれていた「天地人1」、「天地人2」の記事の中で書かれていた『気』が頭の中でくっついてどうしてもSato様に質問したくなり投稿しました。私は『気』というものを、練習する機会がなく、全くわからない素人ですがご教授頂ければ大変うれしいです。

質問ですが「気」というのは体にまとわせて、大きくみせるようなことはできるものなのでしょうか。つまり、この「ドングリの背比べ」の記事で書かれていることを、「気」で体を大きく見せることというのは可能でしょうか。また、可能である場合、どのような訓練をするものなのでしょうか。


この質問の意図ですが、私の周りには「服装」「髪型」「アクセサリー」「動作」なので、体を大きくする人がおります。ただ、たまに理由はよくわからないのですが、「この人すごいなぁ」という人に会います。だいたい何かしらのリーダーか技能者、または変わった経歴の方に多いです。(しかし、リーダーだからといって、特殊な技能を持っているからと言って全員が全員「この人すごいなぁ」という感じはしないのです。たまに、一部の方だけなのです)「これは何なのだろう?「気」かな?でも、「気」のトレーニングとかはこの人たちはしてないような気がするけど、何だろう?」と疑問に思っております。

お時間のある時に、ご返信いただければ大変うれしいです。

追伸:いつも「垂直に伸びる背骨(連載)」ばかりにコメントしてますが、他の記事も読み、いろいろと考えさせられております。



【お答え】

コメントありがとうございます。

早速『気』について解説させていただきます。


気というのは、一般の方達もなんとなく想像されているかとは思いますが、一種の ”生命エネルギー” であるとお考えください。そして ”生命エネルギー” である以上、この世に生を受けている全ての人間に備わっているものだとご理解ください(実は、人間以外の、動物にも、植物にも、鉱物にさえ気は宿っているのですが、ここでは話を分かりやすくするために人間の気に関してだけご説明いたします)


そして、そのエネルギーの性質としましては、先ず『形』があるという事、次に『質感』と『色』があるという事を頭に入れていただきたいと思います。


『形』に関しましては、KAWASHIMAさんのご指摘にもありましたように、大きい、小さいというものが先ずあって、その他にも、丸い、トゲトゲしている、もうグッチャグチャ(笑)等々、人によって千差万別なものなのです。


次に『質感』ですが、サラサラしている、透明感がある・・・その逆に、ザラザラしている、ドロドロしている等々、これもまた人によってそれぞれの性質を有しています。


最後に『色』ですが、これも明るい色から暗い色まで多種多様で、形や質感と相まってその人の持つ性格を表す指標となっています。


さて、気を語るにおいてここが一番の肝(きも)となるのですが、これらの気の性質は、『その人の心と身体の状態がミックスされた形で反映されている』という事です。


分かりやすい例を挙げますと、気性が激しく、荒ぽい性格の人などは(筋肉質で身体の大きい人にありがちな傾向ですが)その気は部屋を包み込む程大きくても、形はトゲトゲしていて尚且つ質感もザラザラだったりしますし、逆に陰気で意地悪な人になりますと(痩せ型な人にありがちな傾向ですが、もちろん例外もあります)その気はどんより、ネットリとその人の身体にまとわり付き、色もドス黒かったりします。


断っておきますが、これらの気の状態は、決してその人達が意識的に創り上げているものではありません。その人達が、それまでの人生を通して行ってきた、身体的な活動(身体の癖や運動習慣も含む)および精神的な活動(物事の捉え方、考え方 、言葉の選び方等々)によって ”無意識的に形成されてきたもの” なのです。


稀に “人格者” と呼ばれる人達がいらっしゃって、丸く大きな気をお持ちになり、しかもその質感は光の様に透明でサラサラしていて(当然色も明るく)優しく周りの人達を包み込んでいたりもします。そういった人が部屋の中にいると、何か全体が落ち着いて、明るい雰囲気に満たされたりするものです。KAWASHIMAさんが時々お感じになる、”何か特別な方達” というのは、おそらくこういった方達なのではないでしょうか?


しかし、この様な方達であっても “気の修行” をされた方はほとんどいらっしゃらないと思います。ただ一つ言える事は、こういった方達は常日頃から人格の練磨を意識的に行っており、辛い時も、上手くいかない時も、ヤケにならず、自分を律し続けてきただろうという事です(僕には出来ません / 笑)もしかしたら、後述しますが、東洋的な身体文化に親しまれて来た方達なのかもしれません。


さて、本題とも言える『気のトレーニングは可能か?』というご質問に対してですが、ズバリ、可能です!とお答えします。


KAWASHIMAさんもお聞きになった事があるとは思いますが『気功』という身体文化が正にそのトレーニング・メソッドではありますし、気功以外にも、東洋の身体文化には多かれ少なかれ “気の養成” という要素が含まれているものなのです。


その要素の中でも中核を成す事柄として


・正しい姿勢と呼吸

・瞑想とイメージトレーニング


の二つが挙げられると思います。もうお気付きの事とは思いますが、『正しい姿勢と呼吸』は “身体の状態を正す要素” であり、『瞑想とイメージトレーニング』は “心のあり方を正すための要素” であって、この二つをバランスよくトレーニングをする事によって、自分の気を望むべきあり方(大きさ・質感・色 等々)に持っていく事が可能となるのです。


次に具体的な方法論を大まかにご説明いたしますと、先ず『正しい姿勢と呼吸』に関しましては、手前味噌にはなりますが、拙ブログ連載『背骨の伸長』にご紹介するものに尽きると自負しております。何を隠そう、背骨の伸長こそが東洋的な ”修行” と呼ばれる身体文化を通底する基本中の基本であり、尚且つ極意でもあるからです。


次に『瞑想とイメージトレーニング』ですが、(本来、イメージトレーニングは瞑想の範疇に入るとは思うのですが、分かりやすくするため、あえて分けて説明させていただくと)瞑想に求められるのは『雑念に囚われない心の状態(無心)を得る事』と『ああしようこうしようという計らいの心(自我)を手放す事』の二つであって、これらがバランス良く融合した在り方こそが、気を、自在に、尚且つ安全に運用する土台となるものなのです。


またイメージトレーニングですが、具体的には、『形』や『色』や『質感』を ”あたかもそこにあるかの様にイメージする” ことを指します。”あたかもそこにあるかの様に” とはどういうレベルなのかと申しますと、”頭で創造したイメージが身体に何らかの反応を生じさせるレベル” という事です。例えば、気を出し入れする掌(てのひら)や足の裏が冷たくスースー感じたり、その逆にポカポカ暖かく感じたりする事です。上達してくると(敏感な人はいきなり感じられたりもしますが)身体の中を気が通る時に、そのラインがムズムズと感じられる場合もありますし、目をつむっていると眉間の裏に光を感じたりする場合もあります(強いライトを実際に額に当てられると、普通の人でも「あ、光が当たってる」と思えるものですが、正にそんな感じです)


このような “身体に何らかの反応を生じさせるレベルのイメージ” を、気功や中国武術の世界では “意念(いねん)” と呼びますが、これこそが気をコントロールする核心中の核心であって、これ一つだけでもある程度の気はコントロールできるようになるものなのですが、身体と心の土台が出来てないうちに行うそれは、大きくバランスを崩したものとなり、引いては心と身体の健康を蝕む事にさえなってしまいます(これを専門的には ”偏差” と呼びます)


ですので、安全で標準的な気のトレーニングの順番としましては、先ずは身体を整え、呼吸を深く、強くし、続いて瞑想を通して心の強張りと癖を取り除き、最終段階として “意念” を用いたトレーニングへと移行するのが良いでしょう。但し、”身体” “心” “イメージ” も全ては連環し合っておりますので、何がなんでもこの順番が良いというわけではなく、上達の度合いによって、適宜、それぞれを補完的にトレーニングするのが理想とも言えるでしょう(そのためにも上級者と共に練習するのがベストなのですが)


補足になりますが、ここで少し気の状態に関して整理させていただきたいと思います。


KAWASHIMAさんが最初に疑問をお感じになった『身体にまとう気』を、別に『オーラ』などと呼ぶ場合もありますが、もちろんそれは、全ての人達が持っていて、その人達の心と身体を守ってくれているものなのですが、その他に、主に『経穴』と呼ばれる、いわゆるツボから大自然の気を取り込んだり、呼吸の様に自分の中の汚れた気を吐き出してみたり、はたまた『丹田(たんでん)』と呼ばれるエネルギースポットに良質の気を貯蔵してみたり、上達してくると、"取り込んだ 自然の気" と "自分の生来の気" をブレンドさせて身体の中を巡らせてみたりもします(そのルートを『経絡(けいらく)』とも言います)


そうして身体を巡る気が、純度の高い綺麗なものに変化し、取り込める量も多くなると、それに呼応するように、身体を取り巻く、いわゆるオーラも美しく大きく変化していくとされています。


つまり、大きく分けて、気には “身体を取り巻くもの” “身体の内外を流れるもの” の二種類があって、それらが相互補完的に機能しているという事になります。拙ブログ「天地人」の記述にあった、「頭の天辺から天の気を入れる」とか「足の裏から大地の気を入れる」とかいうのは ”流れる気” の方だったという事になりますね。また "流れる気" を運用する場合においても、その基本は "流れる方向や質感を強くイメージする" という事に尽きます。
f0074992_14412582.png
身体を取り巻く "気"

f0074992_14412579.png
天から "気" を流し込む


さてさて、実を申しますと、前述しました通り、拙ブログの連載『背骨の伸長』は “気のトレーニングの基本且つ極意” だと確信しておりますので、この連載が完成した暁には、いよいよ本格的に "気のトレーニング" に関する記述をして行こうと思っておりましたが、まだまだ世の中には "目に見えないものを信じられない” という方が多いと感じておりまして、そういう話(気の話)を大っぴらにしていくには、後 5年から10年は掛かるかなあ・・なんて考えていましたところ(※)、KAWASHIMAさんの真摯なご質問を受けまして、もう時代はそういうところまで来ているんだなあと感じ入りました。


これを機に、今後は『背骨の伸長』の連載と並行して、気の話も沢山書いて行こうと思っております(これまでも結構書いて来てはいますが / 笑) 素敵な気付きを与えてくださって本当にありがとうございました。


今後とも、ご愛読の程よろしくお願いいたします。



(※)単純に(気の)計測機器が開発されれば済む話だと思っています。電気だって、発見された当初は魔法みたいに思われていたのですから(笑)



by genshu-juku | 2018-11-02 16:02 | スピリチュアル | Comments(2)

Wake Me Up !!



この曲も、そしてこの映像も大好きだ♡

もう何十回も、見て、聴いているはずなのに
未だに心が震えるのは何故だろう・・・?

"Wake Me Up"

今がその時
本当の自分に目覚める時・・・


さて、
そろそろ眼ぇ覚ますとしますか〜 ( ´ ▽ ` )ノ


〜 6月21日の夏至を前にして 〜
by genshu-juku | 2016-06-19 22:22 | スピリチュアル | Comments(0)

価値観は十人十色

皆さんは買い物をする時に

それぞれのお店で配られる
ポイントカードやスタンプカードで

その時々のポイントを
集めておられるだろうか?

実は、俺はこれが大の苦手で
自分からは決して集めようとはしない。

何しろ面倒くさいし

集めている人達にはホントに申し訳ないが
『みみっちい』 とさえ感じるからだ。

カミさんはこの真逆で

いろんなお店のカードを持ち歩いては
喜々としてポイントを貯めている。

彼女に言わせると俺は
"この上もなく勿体無いない" のだそうだが

でも
決して俺にそれを強いることはしない。

何故なら
俺の価値観を尊重してくれているからだ。

"良い悪い" ではない

他人から見たら
馬鹿じゃないの?と思えることでも

その人がそれに価値を置いているのであれば
それはその人にとっては確かに価値あることなのだ。

(↑ 当たり前だけど)

そして

お互いに相手の価値観を尊重することこそが
大人の付き合いということにもなるのだろう。


でもね

そんなこたあ、わかっちゃいるけど
ついつい人に押し付けたりするんだよね~

自分の価値観を。

自分が良いと思ってることなら 尚更・・・
で、後で後悔したりする。

無理強いは "軽い暴力" と同じだからねえ ^^;


あ~あ
まだまだ人間が未熟ですなぁ~

もう五十を過ぎたんだから
もうちょっと大人になれるように頑張ろっと!!
by genshu-juku | 2016-06-09 22:57 | スピリチュアル | Comments(0)

これからのリーダーは・・・

設備管理なんて仕事を転々としていると

今だに昭和的な考え方に
囚われてる人達をよく見かける。

作業している最中は不機嫌丸出しで
ここぞという時には声を荒げたりして、ね。

まあ

相手が危ない箇所に手を伸ばそうとしている
なんてシチュエーションなら仕方がないけれど・・・

指や腕が飛んじゃうから(笑)

でも、俺が言ってるのはそういうんじゃなくって

" 相手を従わせるためのパフォーマンス "
だってことがありあり判ってる場合のことね・・・

いるよね、こういう人が、貴方の隣にも。

んで、こういう人に限って必ず言う台詞は

「相手の為を思ってのことだ」

とか

「こうしないと言うことを聞いてくれないんだ」

とか・・・ね。

時代の進化(深化)とともに
多くの人びとの意識も高まっている・・・

だから、みんな気がついてるんだよ

『お前の認識力が足りないだけなんだ』って
『お前が勉強不足なだけなんだよ』って (´・ω・`)

だけどおっかないから
表面だけ従う振りをしてるだけで

心の中ではベロを出して笑ってるんだよ。

本当に人を動かしたかったら
動いてもらいたかったら・・・

きめ細かな心配りや言葉がけは欠かせないし
理論的な説明や冷静な指示出しは必須だ。

中にはどうしても不器用な人もいるから

そういう人達が付いて来られるまで
辛抱強く待ってあげられる忍耐力も必要だ。

" 出来ないから怒る " なんてレベルは

『私は指導者(管理者)として怠け者です』
って宣言してるのもおんなじことなんだよ。

(繰り返すけど、危険な行為や
学ぶ気のない者を叱るのは致し方無いことだけれど)

なんてね、偉そうに抜かしてるけど

かく言う俺も
殺陣の団体を率いてる時分

その封建的な教え方に

「先生には付いていけません!」

って、生徒達から総スカンを食らった口だけどね(笑)

あと、これは初めて書くことだけど

CG の会社に勤めていた頃

行儀のよろしくない20代の女の子を思わず怒鳴ったら
女性社員の皆さんにこれまた総スカンを食らって

それがその会社を辞める
原因の一つになったってこともあったけどね~ ^^;

(それが原因の全てではないけれど)

でも、負け惜しみでもなんでもなくって

当時の生徒達や、件の女の子には

感謝こそすれ

恨みがましく思う気持ちなんて
これっぽっちも持ってやしない・・・

だって、彼等、彼女らのお陰で
いち早く目を覚ますことができたんだもの。

あのまま突き進んでいたら

時代に取り残されたまま
裸の王様で一生を終えることになってただろうから。

まあね、自分の信じる価値観を変えるなんてことは
死ぬより怖いことだって、俺が一番知ってるけれど

それでも、変えていかないと
変わっていかないと・・・

気が付いたら一人ぼっちで
周りに誰もいなくなっちゃってるかもしれないよ(笑)


あと、誤解されそうなので補足するけれど

「じゃあ、情熱を捨てて腑抜けになれとでも言うのか?」

って思ってる人達が沢山いると思うけれど

そうじゃなくって

その情熱の燃焼の仕方をさらに効率よくしていきましょう

って言ってるだけなんだよ。

今までが、赤い炎をメラメラさせ
不機嫌や怒りなんて煙をブスブスいわせてた

" 効率の悪い燃焼方式 " だったとしたら

これからは
青い光を放ち、さらに温度が高く

尚且つ 煙の少ない
(不機嫌や怒りの少ない)

" 効率の良い燃焼方式 " を目指しましょうということ。

なんてね

" 言うは易し行うは小野ヤスシ " っつってね

俺もまだてんでダメ・・・

悪戦苦闘中ですよ(苦笑)

でもまあ
諦めずに行きましょうよ、ご同輩 (≧∇≦)/


もしも
この俺の考えにご賛同いただけたら・・・ですけどね。
by genshu-juku | 2016-04-27 23:17 | スピリチュアル | Comments(0)

屁は友を呼ぶの法則?!

これまで生きてきて
どうにも不思議でならないことが一つだけある。

それは、誰もいない部屋で気持よく屁をこいていると

決まって、八割くらいの確立で(当社比)
タイミングよく誰かが入ってきてしまうということだ。

設備管理の仕事をしていると

でっかい空調の機械や
ボイラーなどが置かれた

いわゆる機械室
という所で仕事をするのが常なのだが

そこは、大抵の場合、部外者は立ち入り禁止で

部屋に出入りするのは同じ設備の人間か
出入りの業者さんに限られてくる。

通常の点検作業なら一人でできるものなので
故に、設備マンは単独行動をする場合が多く

しかも

大きな設備機械から発せられる
騒音がかなりの音量なので

"屁をかますには最適の場所" なのだ。

ところが、だ。

気持よく一発かました直後に

待ち構えていたかのように
部屋に入ってくる輩がいるのだ。

「え?なんでこの業者さんここに居るの?!」

みたいな感じで
予想だにしなかった人が突如現れるのだ・・・

俺なんか、自分の中で伝説を持っていて

20年も昔
ある研究施設の設備マンをしていた俺は

その日も屋上で

腰くらいの高さの
割と低い脚立に跨るような形で立ちながら

蒸気配管の漏れを修理していたのだが

ついつい気持ちよくなって

ぶぅううう~~~~~!!

と、派手に一発かましたところ

ふと人の気配を感じたので
後ろを振り返ってみると

丁度俺のおしりの高さのところに
見知らぬおじさんの顔があったのだ!!

そのおじさんはそこに初めて来た業者さんで

迷ってしまって困っているところに
ここの現場の設備マンらしき人がいたので

近づいて帰り方を教わろうとしたとたん
真正面からすんごい爆風を浴びせられたらしい・・・

(まるでジャッキーの映画やんけ!!)


『世の中に偶然はない』と
スピリチュアルの人達はいうけれど

じゃ、いったいこれはなんなんだろう?

みんな、そんなに俺の屁が嗅ぎたいのか?!

それとも前世で

俺の屁を嗅がなくてはならない程の
カルマを作ってしまったというのかっ?!!

謎が謎を呼ぶこの現象・・・

取り敢えず俺は

"屁は友を呼ぶの法則" と名付けて

今後は広く世に問うていきたいと思っている。


いかがですか皆さん?

皆さんにもこんな経験おありではないですか???
by genshu-juku | 2016-03-25 23:21 | スピリチュアル | Comments(0)

"こだわらない"ことの効用

仕事でも趣味でも
何か目標を持って取り組んでいるもので

壁に突き当たる
なんてことはよくあることで

これまで生きてきた中で
どれ程の数の壁にぶち当たったかなんて

にわかには数えられない程だけれど

最近、なんとなく
こうなんじゃないかな~?って感じることがあって

それは、壁に突き当たったからといって

焦って もがけばもがくほど

壁の周りに伝ってる
イバラかなんかに雁字搦めになっちゃって

身動き取れなくなっちゃったりするわけで

いったん距離と時間をおいて
寝かせてあげた方が

新たな視点で対象を見直す事が出来て
今までにないアイデアも浮かんだりして

案外、スムーズに事が運ぶのではないのか?

ってことで・・・

もっと言っちゃえば

最近の経験の中で

なんか知らないうちに・・・
自分は何もせずにただ待ってるだけで

事態が好転しちゃってたなんてこともあったりして

う~~ん、こりゃなんじゃらホイ?

こういうことって
今まで殆ど経験したことがなかったので

なんか凄く新鮮で不思議な感じがする(笑)

(今までは、とにかくもがいてただけ)


そういえば

これまでお会いした芸能の方々の中で

いわゆる売れっ子と呼ばれる人達が
俺の狭い人脈の中でも何人かおられるけれど

そういった方達に共通している
物腰というか、心の態度みたいなものがあって

それはガツガツしてないというか
要するに "こだわらない" ということなんだけれど

例えば「この役がやりたい!」と執着するのではなくて

「頂いた役ならどんなものでもやりたいです」

という謙虚な態度であったりするわけで
(実際本人からそう聞いたこともある)

またオーディションなどで役を逃した時でも

それは縁がなかったんだと
割り切れる潔さであったりもする・・・

ちょっと話は違うけど
若い頃、ある役者さんとの雑談の中で

(↑ もちろん有名な)

「彼女に振られたとしても僕は追いかけない
・・・だって仕方がないじゃない?」

って聞いたこともある。

今まで世間一般で言われてきた
成功哲学とは相反するようだけれど

俺みたくガツガツしてる人間よりも

こういった謙虚で潔い人の方が
大きな成功を収めているような気がするんだよね。

(もちろん、全てがそうではないだろうけど)

かといって

こういった人達が
覇気がないと言ってるわけじゃなくって

彼らの役にのめり込む集中力は
常人の域を遥かに超えているからねえ・・・

だからこう
精神力を使うタイミングっていうのかな?

やるべき時はガ~!!って行くけど
それ以外の時はのほほんとしているというか

こだわらないというか・・・

今の俺なら
なんとなくその理由が判る気がするんだけれど

小さな事にこだわらないっていうのは
確固たる自信がなかったらできないことなんだよね。

「ま、なんとかなるさ・・・」

っていう態度は
"本当の自信の表れ" ってことなんだよ!

あ~あ、俺も欲しいな~この自信・・・

ほんで成功するんだ、この先ず~っと ( ´ ▽ ` )ノ
by genshu-juku | 2016-03-21 23:46 | スピリチュアル | Comments(0)

天地人_2

天からの光の気( "銀河の光" 的な)
地からのガイアの気( "緑の大地" 的な)が

奔流のように身体中を駆け巡り
下丹田でブレンドされて

今度は掌(たなごころ)から
迸り出ようとする・・・

俺は思わず

二年以上放ったらかしにしていた
木刀を握りたくなって

そっと構えを取ってみれば

おお!剣に気がよく乗ってくれる!!

ゆっくりと振れば
遠くまで気が飛んでゆくではないのよさ!!

ひいぃぃ~!かっちょいい~~!!

こういうのっ!
こういうのに憧れてたんだよね~~!!

・・・オリは (^O^)/

まあ、見かけは剣を振ってるんだけれど
やってることは全く別次元のことで

無理矢理分類分けするなら
宗教的な "祓い" に近くなるのかなあ?

もちろん、武道家の方で
闘気を持って "祓い" をされているのを

お見かけすることはあるけれど

単純に、自分の志向としては
癒やしの力でそれをやってみたい・・・

ただし
闘気の何十倍ものパワーは必要だろうけど。

そんで
もしそのパワーを身に付けることができたなら

相対する敵の闘争心を
挫くことさえ出来るのではなかろうか?

それこそが

合気道の英傑・塩田剛三の云うところの

『本当の強さは
 自分を殺しにきた相手と友達になること』

に繋がるのではないのだろうか?

そうなれた時にこそ初めて

敵は敵に非ず、己が友であり

深い部分では通じ合う
"自分の鏡" であることを悟り

真の意味での
"無敵" の境地に辿り着けるのかもしれない。

もちろん

具体的技法もないのにこんなこと吹いてると
誰も耳を傾けてはくれないので

誰をも納得させられるだけの技量
があってこそのエネルギー論なんだけどねえ。

うん、なんかそこを目指したくなってきた。

"敵と仲良くなるための武"

って変な言い方だけれど・・・
そこを目指したくなってきたぞ!

・・・どれどれ
たまには木刀振ってみよっかなぁ~~ (^^♪


・・・終り
by genshu-juku | 2016-01-28 14:59 | スピリチュアル | Comments(0)

天地人_1

劇的に "気" のレベルが上ったお話。

俺はこれまで大地から取り入れるのは
"マグマの様に熱い気" に限定してきた。

だってそう教わってきたし
自分でも信じて疑わなかったから・・・

何故なら

マグマの熱性の気 は
燃えるような闘志の源になるし

腕や脚に導けば
相手を倒す威力にもなってくれるから。

でもね、一方で
冷静な判断力を支える天からの気・・・

この場合は冷たい、冷性の気なんだけれど

闘いに於いては

この二つを併せ持つことが
とても重要なことだと言われてるんだけれど

それがどんなに意識をしても
なかなか入ってきてくれなかったんだよねえ~

ホント、三十年近くやってきたってのにさあ(笑)


ほんで、つい先日

共にスピリチュアルの道を歩む
友人との会話の中で

「大地からは
 癒やしの "ガイアの気" を導入したら?」

って言われて・・・

ん?ガイアの気?

まあ、存在は知ってたけど
自分には無縁のものだと思ってたんだよねえ・・・

だって癒やしの気じゃ闘えないじゃん?

つっても
俺的に闘いはもう卒業してるので

あ、そうだよね
癒やしの気だっていいんじゃん!!

なんて軽いノリで
ガイアを意識したとたん

ドガンって入ってきた、ドガンって・・・

ガイアの気が!!

それと呼応するかのように

天の気までもが
ズワァ~~って降りてきちゃって

ズワァ~~!!って・・・

丁度、ギャバンが蒸着する時みたいにさ・・・
って、わかるかな(笑)?

俺はもうぶったまげて

「おお~!なんじゃこりゃ~~!!」

って叫んでたけど

これって一体なんなんだろうね?

スピリチュアルの世界では

"こうあらねばならない" という

ある種の心の偏りや考え方の癖が
エネルギーの流れを滞らせることを

"ブロック" と呼んでるんだけれど

正に俺はブロックをしてたってわけね!

これほど芳醇な・・・
正直言って持て余すほどに豊かな

大自然のエネルギーを、さ (^_^;)


・・・続く
by genshu-juku | 2016-01-28 14:18 | スピリチュアル | Comments(0)

痛いのはイヤだけれど・・・

今朝、目を覚ましたら
頭の奥がズキズキと痛む・・・

「あれ?昨夜飲み過ぎたかな?」

って、俺は下戸だっつうの!!

痛みに注意を向けると

延髄から間脳辺りまでの
いわゆる脳幹から痛みがきてるのが判る。

すわ、脳幹梗塞?脳幹出血っ?!

布団の中で恐る恐る身体を動かしてみても
取り敢えずどこも麻痺してないみたい・・・

今度は首の骨を触ってみると

おお、ズレがまた
少しだけ改善されているではないか。

おそらくは
ほんの数ミリの変化ではあるだろうけれど

この首の骨の移動によって

血流やら、頭蓋骨内部の
脳の "収まり" なんかが変化したのだろう。

うぅ~~、それにしても怖ええな・・・

こういう、骨格が改善される時の痛みは
これまでも随分と体験してはきたけれど

いつ味わっても生きた心地がしない ^^;

もちろん
身体からしてみれば必然なことであって

「お前が(主人である俺、ね)
 目茶苦茶な使い方をしたから

 俺らが(身体ね)
 苦労して直してやってんじゃねえかよっ!!」

って言われるだけであって

つまりこの痛みは

正しい在り方に戻ろうとする痛み

であって
なんら忌み嫌うことではないのかもしれないけど

でも、痛いのはイヤだなぁ~~ (-_-;)


思えば
身体が感じる痛みだけではなくって

心に感じる痛みにも
似たようなものがあったような気がする。

例えば
殺陣の教室を主宰してた頃の俺は

恐ろしく
封建的な振る舞いをしてたものだけれど

一人の女子が面と向かって

「先生には付いていけないっっ!!」

って言ってくれたお陰で

自分がいかに間違った方向に
向かっていたかを思い知ることができた。

もちろん
頭をハンマーで殴られたような衝撃は受けたし

心はズタズタに傷つけられたけれど

彼女の一言がなかったら

俺は今頃
とんでもない暴君に育っていたことだろう。


・・・なので
何が言いたいのかというと

痛みってえのは
悪い意味ばかりじゃないんだな~ってこと。

もちろん
心と身体の両方の意味においてね。

でも、でも・・・
やっぱり痛いのはイヤだなぁ~~!!

なんとかなりませんかっ?!

神様~~っ (;´Д`)
by genshu-juku | 2016-01-09 17:48 | スピリチュアル | Comments(0)

自分にとっての志

水滸伝を読んでいると
『志』というキーワードがそこかしこに登場する。

なんかもうその言葉を聞くだけで

ケツの穴がむずむずしてきて

何かやらなきゃいけないような
焦燥感に駆られてしまうんだけど

この感じ・・・

少なくとも昭和という時代の薫陶を受けた
オジサン世代になら判ってもらえると思うな(笑)

じゃあ今の自分の志はどこにあるんだろう?
ってか、今の俺に志なんてあったっけ?

なんてつらつら考えてみるに

・・・ああ
なんかあるね、胸の奥に。

それは、敢えて言葉にするなら

『この現実と呼ばれる世界が
 少しでも良い方向に変われるよう力を尽くす』

ってことにでもなるのかな?

つっても、政府を糾弾するため
市民運動に身を投じるつもりもないし

一部のスピリチュアリスト達がそうしているように
聖地を巡って平和への祈りを捧げるつもりもなく

(↑どちらも否定してはいない。
    自分の仕事ではないと思ってるだけ)

ただただ日々を一所懸命生きようと

そうして
そこで出会う見知らぬ人達と

少しでも良い周波数で・・・
明るい心の状態で関わり合いたいと

そんなことを思っているわけで

そのために最も大切なことは

『自分の好きなことをやり続けること』

なんじゃないかって思っている。

私事で恐縮だけど

この二年半というもの

食べるためだけに
やむなく仕事をしてきたところがあって

それはそれで貴重な出会いや体験が山程あって
視野がぐんと広く、深くなった気はするものの

いかんせん
仕事に終われて自分の時間を持つ余裕もなく

ただ働いて、うち帰って風呂入って
飯食って、寝るだけみたいな生活が続いてみると

いや、これは
死ぬより辛いことなんだな

・・・って だんだんと判ってきた。

逆に、ちょっと時間が取れて

たとえ数時間でも
好きな CG に打ち込むことができた日には

心の底から
生きてるって実感を味わうことができたし・・・


以前、食品工場に務めてた時に

同僚の若い子達から

「自分、やりたいことなんてないんスよね」

なんてよく聞かされたけれど

そんなことはないよね?

だって

週末に草野球やってるし
終わったら打ち上げで一杯やるじゃん?

冬は毎週スノーボードに行くし
そのために働いているようなもんなんでしょ?

まあ、彼等のいう『やりたいこと』とは

生涯を掛けて取り組む・・・
そういうレベルのことを指してるんだろうけれど

たとえ『余暇』レベルに過ぎなくったって

それが もの凄い大事なことなんじゃないかって

今は思ってる。

その大事さってえのは

一般的に言われるような
心と身体のリフレッシュ程度のことではなくって

もしかしたら『魂』にも関わる程の
重大事なんじゃないかとさえ思っている。

好きなことをやって
魂のレベルで自分を喜ばすからこそ

人にも寛容になれるし

明日からのつまらない仕事にも
耐えられるんだって思うんだ。

結局、周りに良い影響を与えたかったら
先ず自分を喜ばせなさい!ってことなんだろうね。

でも、これがまた
日本人には苦手なところであって

(↑ 特に昔の世代には)

なんかもう、苦虫噛み潰したみたいな顔して
苦しんでなきゃダメだ!みたいな空気がまだあって

「やりたいことを我慢してこそ
    一人前になれる・・・幸せになれる」

みたく思ってる人・・・
まだ結構いるんじゃないのかなあ。

そんで

若い世代が自分のやりたいことやって
生き生きと暮らしてるのを見ては

「ダメだ!ありゃ。根性が座っとらん」

とかなんとか文句垂れてんの・・・

あ、これは自分のことね(笑)

そんなこと言いながら
負のオーラ周りにまき散らすよりは

若い人見習って好きなことすりゃあいいんだよ。

ピンクレディーの歌の文句じゃないけど

「やっちゃいな やっちゃいな
     やりたくなったらやっちゃいな ♫ 」

・・・だよ(≧∇≦)/

そんで、その楽しい!っていう気持ちの
キラキラオーラを周りにおすそ分けすればいいんだ。

なんかアホみたく思われるかもしれないけど

世界を良くしていく基本中の基本って
案外こんなところなんじゃないのかなって思うんだ。

なので、詰まるところ

今の俺の志ってば

『好きなことをしまくろう!!』

ってところに落ち着くのかな?

二年半にも及ぶ苦闘が
たったこれだけのことに気付くためだったなんて

いやはや、なんともですなあ・・・ (*^^*)



さてさて
これが今年最後の更新となりまする。

なんだか

本当にグダグダな
書き込みばかりだったと思いますが

一年間のご愛読ありがとうございました。

来年もよろしくお願い致します。

それでは、良いお年を!!
by genshu-juku | 2015-12-30 17:18 | スピリチュアル | Comments(0)