殺陣師の佐藤雅樹が殺陣と武道修行から得た "気付き" を易しく解説します


by Masaki Sato

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生徒と弟子

このブログを読まれている方で、俺の玄舟塾会員に対する呼び方がここ数ヶ月で微妙に変化してきたのに気付かれた方はおられるだろうか?

そう、最初の頃は「生徒」、次が「塾生」、そして最近は「弟子」だ。

呼び方が変わったと言うことは、俺の中の意識も明確に変わったと言うことなんだ。発足当初の玄舟塾は正にカルチャー教室。俺もそれを売りにしていた部分はあったが、やはり集まって来るのはミーハーな者達ばかり。そういう者達の目的は、単に木刀の振り方を教わればそれで良いというもの。そうした状況下でも、俺は上達の心構えやら礼儀作法やらを根気よく教えてはきた。が、やはり彼等をして塾生とはとても言えない気がしていたんだ。

俺の中の勝手な定義で恐縮だが、「生徒」は「単なる技と幾ばくかの心構えを教える対象」、「塾生」は一歩踏み込んで「人としての生き様(まあこれは俺の価値観での話だが)も含めて教える対象」、そして「弟子」は「俺の持つ全ての技術と考え方、言い換えれば、俺の魂全てを注ぎ込む対象」といってもいいんだ。

一時のミーハー熱もとうに冷め、気が付けば塾生と呼ぶに相応しい人間だけが残っていた(未だ「生徒」のままの者も多いけど/笑)。そして、その中から「弟子」と呼んでも構わないと思わせる人間達が出てきた。断っておくが、俺とここまでの関係を気付くのには並大抵の苦労では敵わない。俺が偉いといっているんじゃない。俺がたいそうな偏屈者だからだ(爆!!)。しかし、だからといって俺の良いとこばかりを学ぶというわけにもいかず、ここが人間関係の難しいところなのだが、俺の良いところ悪いところ、全てとがっぷり四つに組んでこそ俺から何某かを学べるというものなのだ。

大変な苦労をかけている弟子達だが、だからこそ俺は、奴らに何らかの危害が及びそうな時は命を懸けて奴らを守るつもりだ。まあ、奴らの方から断ってくるかもしれないけどさ(笑)。

時代錯誤な考え方だね。
あっしゃ〜、古風なんでヤンスねえ〜。

I wonder why the reason that I can't stop writing this blog even though I'm very tired.


今日のBGM「ど根性でヤンス」
by genshu-juku | 2006-10-08 23:57 | 殺陣 | Comments(0)