殺陣師の佐藤雅樹が殺陣と武道修行から得た "気付き" を易しく解説します


by Masaki Sato

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自分で考えましょう?_4

凡才の可能性を引き出してあげる適切な方法論とは何か

古くからの読者にはお馴染みの
日本的な『型』を中心とした教育法だ。

「型だって?!
 そら来た!封建主義だっ!!」

まあまあ・・・
落ち着いて聞いてくれ。

確かに
程度の悪い武道家なんかには封建的な人間もいるし

そういった者の作り上げる教育システムには
学ぶ者を雁字搦めにし、かえって上達を阻むものが多い。

がしかし、真の型の文化とは
学ぶ者に効率よくその種目の原理を伝え

なお且つ、最終的には
その者の個性を大きく開かせるものでなければならないのだ。


『守・破・離(しゅ・は・り)』

という言葉があるが

たった三文字ではあるが
この言葉には伝統的な型の文化の本質が隠されている。

『守』は師の教えに従い
またその流派の型(原理)を徹底的に身体に刻み込む段階。

『破』は他流の技なども研究し
流派の型から『自分の型(自分にあった動き)』を模索する段階。

『離』は融通無碍。
合気道の開祖・植芝 盛平(うえしば もりへい)の
言葉にもあるように『歩く姿がすなわち武である』ような状態。
(↑日常の動きの中にも武道の原理が活かされている状態)

もしくは、一流のダンサーの身ごなしが
何気ない日常の一コマを切り取っても無上の美しさを備えた状態。


俺が思うに
『離』の状態こそが『真の個性の発現』なのだと思う。

そうして
(一流の武道家やスポーツマン達が口をそろえて言うように)

その状態こそが
『真に心が解き放たれた(自由になった)』状態なのだと思う。

また、この型の文化こそが

凡才をして天才に肉薄する
技術や人間性を獲得するための秘訣なのだとも思う。



この型の文化の指導者が正に心を砕くべきは

『初心者に与える反復稽古を検証し続け
 常に最善のものを(情報も)提供すること』



『学習者が十分な実力を備えてきたら
 徐々に独自の工夫をさせるよう促すこと』

『また、そのタイミングを逃さぬよう
 常に学習者のレベルを観察し続けること』

これに尽きるのだ。


これは、言うは易し、行うは小野ヤスシ・・・

十把一からげで
「さあ!自分達で考えてみよう!!」

なんてやり方よりも
よっぽど骨の折れる仕事なのだ。


だが、心ある指導者達には
是非ともこの辛い道の方を選んでいただきたいのだ。

そうして、学ぶ若者達にも

自分達は今どこにいるのか?
『守』なのか『破』なのか『離』なのか・・・

冷静に自己分析できるようになって欲しいのだ。

そうして、未だ『守』の段階であると分かったのであれば
甘んじて退屈な反復稽古に身を投じて欲しいのだ。

(余談だが)

そうやって
確実に階段を上っていけば、いつかは気付くはずだ。

『守』のレベルの素人のくせに
「僕が、私が!」と主張する事がいかにみっともないかを・・・


このように

教える方も教わる方も納得ずくで
この『型を中心とした教育方法』を活用できたときに

日本中に『元凡人の天才達』が溢れるに違いないと思うのだ。


その日を心待ちにしている。


・・・終わり
by genshu-juku | 2010-02-14 18:40 | 武道 | Comments(0)